サブカル雑記(仮)

アイマス、ファンタジー、ドール、プラモデル、ビール、アニメなど。

ガンプラ狂騒曲

  

 入荷されたガンダムのプラモデル、ガンプラが店頭から瞬く間に姿を消すようになってから随分たつ。コロナ禍が始まってからだからもう2年くらいたつだろうか?このガンプラのパニック買いが改善される様子は今のところ全く見られない。一時的なブームを市場在庫のコントロールで作っているのではないかと勘ぐられてもおかしくないほどの異常事態だ。SNSに流れてくる画像も、ガンプラが入荷されたお店の状況や購入報告もしくは積み上げられたガンプラ、いわゆる積みプラの画像が多くなった。もちろん積みプラが悪いわけじゃない。けれど、いまはガンプラを買うことが目的になってしまい、買っても箱も開けずに積んで満足してしまっている雰囲気があるような気がしなくもない。プラモデルは未完成状態が完成品という特殊な製品だから、箱を開けてランナーを眺めるとか、このキットのこのランナーのこの部分がいいとか、そういう愛で方があってもいい。むしろそういったSNSの投稿がもっと増えてもいいくらいだ。

 いまのこの状況を見ていると、昔のガンプラブームを思い出す。ガンプラを求めて開店前のお店に並んだり、問屋さんからの入荷便を待ったり……ガンプラ世代としてはまるで昔を再体験しているかのようだ。ガンプラブームを体験した世代に共通のあるあるネタがある。緑の量産型ザクが欲しかったのに赤いシャアザクを買ってくるばあちゃんとか、売れないパチモノロボットプラモとの抱き合わせ販売とか。1970年代生まれは間違いなく体験しているはずだ。抱き合わせ販売については、その後の、ファミコンブームで体験している世代も多いだろう。

 ガンプラブーム直撃世代の私は「アニメモデルだって立派なプラモデルだ!」というプラモ狂四郎こと京田四郎の台詞に共感した。「プラモ狂四郎」は、かつて講談社が発行していた月刊コミックボンボンで連載されていた漫画だ。四郎に習い、アニメモデルの技術を上げるためスケールモデルにも手をのばした。もちろん大人っぽさへのあこがれもあった。「プラモ狂四郎」を入り口に、模型専門誌のホビージャパンを読み始め、ガンプラ以外へプラモデルの世界も広がった。あの鳥山明氏もプラモデル好きで、「Dr.スランプ」の中書きからスターウォーズシリーズなどの海外製プラモデルの存在を知ったりもした。ガンダム以外のロボットアニメ(エルガイムダンバインザブングルバイファムダグラムボトムズなど)のアニメモデルからも、SFやミリタリーの知識は増えていった。

 しかし、ガンプラはこの四郎の想いとは異なる方向に進化した。ガンプラはアニメモデルというプラモデルの枠を超えてガンプラというカテゴリーを築き上げた。ガンプラはプラモデル趣味への入り口ではなくなってしまった。いま現在、ガンプラは異常なほど高度に“組み立て式アクションフィギュア”化している。無塗装、素組みで楽しくブンドドできる十分な完成度。だから製作過程は地味に苦痛だ(笑)。最近のRGシリーズ1/144Hi-νガンダムの超人気ぶりもそれを物語っている。ガンプラはMGシリーズから始まり、RGシリーズに到達したいま、よい意味で異常な進化を遂げた。ガンプラはいま、プラモデルの枠組みから外れ、組み立て式アクションフィギュアへ進化し、独自のガンプラ文化を育んでいる。

 ガンプラ好きに「ガンプラが無ければ他のプラモデルを作ればいいじゃない」は通用しない。なぜか?それはガンプラが他のプラモデルとは異なる進化をしてしまったからだ。そこにはプラモデルの枠を飛び出した独自のガンプラ文化が築き上げられている。ガンプラの代わりはない。ガンプラは唯一無二のコンテンツになった。

 この騒動、もうしばらく続きそうだ。そういう私はもうガンプラで疲弊するのはやめることにした。積みプラを愛でるか、他のプラモデルを作りながら、この騒動が落ち着くのを待つことにする。終焉はまだみえない。